2011年
2011年
12月
30日
金
今年1年ありがとうございました
今年1年ありがとうございました。
日本列島がすべての災害に見舞われてしまったような1年でした。東日本大震災が最も大きな災害でしたが、他の地域でも大きな地震による被害が出ています。台風の被害も忘れてはなりません。
竜巻もありました。そして、近年にない大雪による雪害もありました。普段であれば大きなニュースになるような災害でも東日本大震災の影になり、ほとんどニュースにならなかった災害もありました。いずれにも被災者が数多く存在することを忘れてはいけないと思います。
被災地の完全な復興は数年(数十年?)先と思われます。当社としてこの先どのような形で支援できるのか、しなければならないのか、一部地域での活動は動きつつありますが、複数年にわたっての支援活動をどのように進めていくのか、が当社としての課題です。
私事で申し訳ありません。
ホームページのリニューアルからブログへの書き込みが多くなった気がします。いつもながらつたない文章でお目ぐるしい思いをさせていますことをお詫びいたします。やめろという声が聞こえませんので続けていきたいと思っています。
今年は歴史年表にのこるような年であったと思います。
来年は被災地の復興が更に進展していくことを祈念いたします。
今年1年ありがとうございました。
2011年
12月
23日
金
なんとなく久々です。
自分で言うのもなんですが、久々にブログ(自分の)を覘いてみました。
前回は12月の初めでした。きまぐれ不定期とは言え、これぐらいの間隔は長いとも言えず、短いともいえない、微妙なところです。
今日の天気はよくもまー荒れてくれるもんだと思えるほど荒れています。昔からクリスマス寒波などとよく言われていましたが、まさにその通りです。
朝の通勤時の車の運転、お仕事での車の運転、ほんとに命がけです。
え?、どんな危険? 道路はつるんつるん(アイスバーン)、吹雪のため数十メートル先が見ない、ひどいときは数メートル先が見えない状態になります。
皆さんは目を閉じたまま2~3秒間運転できますか? 吹雪で数メートル先が見えないということはそうゆうことなんです。
吹雪の日はみんな命がけで運転しているんです。十分気を付けたいものです。(私も含めて)
さて、がれきの受け入れですが、秋田県内でも受け入れを可とする市町村が増えてきました。
ただし、住民の理解が得られた場合ということです。あくまでも市町村単位であって、産廃業者云々ではないようです。いずれ、協力できる(しなければならない)時期が来るのではないかと思っています。
2011年
12月
05日
月
ちょっと本質に。
読者様からの先日のご指摘の通り、業務に関する記事がないことについて私自身大いに反省すべき点として重く受け止めております。ご指摘ありがとうございました。その通りです。
ここからちょっと本質に。
さて、被災地のがれき類の受け入れに関してですが、当初受け入れを表明したのは東京都と青森県だけと記憶しております。しかし、実際に受入れているのは東京都と山形県の一部です。
今後受入する県が増えてくるものと思われますが、ここ秋田県については数日前に受入の方向へと進展しました。
「がんばろう東北」「一人じゃないよ」などと言いながら、いざがれきの受け入れとなると放射能云々で拒否をする。「力のあるところが力を貸してなぜ悪い」、、、と、某知事も言っています。被災地で搬出の段階で数値が安全な範囲にあるものを受け入れてなにが悪いのだろう、と思うのはわれわれの業界だけなんでしょうか。ただし、受入側の能力の問題もあります。そして、一般廃棄物を産業廃棄物の処理業者が受入するためにはそれ相当の手続きが必要です。
がれき処理を迅速に処理するためには行政との連携が必要であると思います。
話題が変わります。
排出業者が産業廃棄物の処理を依頼するときはマニフェストの交付が義務付けられているはずですが、「持ってきません」「ありません」「なに?」「あとで」・・・。依然として多いです。
どうしてなんでしょう。処理業者はマニフェストの交付されていない廃棄物を受け入れると欠格要件にに該当することになり、最悪、許可取消なんです。
排出者の義務を知らない業者さんが多くいます。なんとか周知させる方法はないものでしょうか。
最後は・・ぼやき・・になってしまいました。 でも、これ大切ですよ。
先日の読者様、ご意見をいただければありがたいです。
2011年
11月
22日
火
ちょっと勘違い。
おはようございます。
ふと気が付いたのですが、きまぐれ不定期ブログのとおり、きまぐれとはいいながら私事の書き込みがほとんどのようでした。これからはもっと仕事に関する記事を増やさないといけないですね。
ちょっと勘違いしていました。(と言いながら仕事に関する書き込みが増えるということであって私事が無くなるわけではありません)どんな内容になっていくのかは現段階では私にもわかりません。なにせ気まぐれですから。
2011年
11月
14日
月
今度は大槌町へ。
昨日は大槌町へ行ってきました。平地部分の家屋はほとんど無くなっていました。そして、防波堤と見られるコンクリート製の擁壁?が細切れにされたように周辺に散乱していました。防波堤の高さ、厚さから改めて津波の威力を見せつけられました。
?ふれあいセンターの時計が地震が来て電気が止まったと思われる時間に、大槌町役場の時計はおそらく津波が押し寄せたと思われる時間に止まったままでした。時計は止まっているのに当日の時間の流れと出来事が手に取るように感じ取れました。
帰り際、復興食堂で食事をしました。安いし味もいい、そして何よりもみんな元気がいい、「いつまでも何もやらない状態ではいられない」そんな思いなんでしょう。
なぜか、またも被災地の人たちに元気を貰ってきました。
「あなたたちは生き残ったのではないですよ、生きるべくして生きているんですよ」これからの大槌町のために頑張ってください。
と、口には出せないけれど、そんなことを思いながら大槌町役場の前に献花して帰路につきました。
2011年
11月
07日
月
実際に現地を見なければ・・
昨日も石巻の大川小学校へ行ってきました。犠牲者一人ひとりの霊を慰めたい、という思いで何度でも訪れようと思っています。
そして雄勝町にも足をのばしてみました。トンネルを抜け山道を下っていく途中に右下の方にちょっと目をやったら、津波の爪痕が・・・・。一見、山の中のように見え、海からはだいぶ距離があると思われる場所なのにしっかりと津波の爪痕がありました。さらに坂を下りていくと雄勝小学校、そして雄勝中学校があり、野球場と思われる場所には大量のがれきが積まれていました。
そして、なんと、公民館(図書館)の屋上には観光バスが・・・・・・。津波の凄さ、恐ろしさを改めて感じました。テレビで見る映像だけでは感じ取れない、実際に現地を見なければわからないことがいっぱいです。
もちろん、この地域だけではなく青森、岩手、宮城、福島、そして茨城、千葉に至るまで今回の震災による被災者が多くいます。犠牲者もいます。私は、機会あるごとに被災地を訪れ、犠牲者の霊を慰めたいと思っています。(歴史に残る大災害です。しっかりと目に焼き付け、しっかりと後世に伝えていきたいと思っています)
2011年
11月
01日
火
人は人でありたい
震災から間もなく8か月です。テレビもラジオも震災の報道が少なくなり、震災は遠い過去の出来事といった感覚になってしまうのでないかと心配しています。
早いもので8か月になりました、というのか、まだ8か月しか経っていないというべきか。
被災者とそうでない人との温度差がますます広がっているのではないかと思われてなりません。
「いつまでも被災者の顔を・・・・・・」といった言葉がちらりと聞こえてきました。温度差そのものではないですか。
家族を亡くし、住む家も失ってしまった被災者が多くいます。それこそ「いつまでも被災者ではない」、そんな環境を取り戻せることを願ってやみません。
人は人でありたい、人の心の痛みがわからない人がこの日本にもいたんですね。
被災者の元気と笑顔に逆にほっとさせられています。
2011年
10月
10日
月
なにもできないけれど・・・・。
先日、石巻の大川小学校へ行ってきました。
妻の「何もできないけれどせめてお花を・・・・」の一言に、即決10分後に出発しました。
時間にして片道3時間ほどかかりましたが、犠牲者の霊を慰めたいという思いがいくらからでも伝わってくれれば・・・・・。
そして、一週間後、娘の娘、の学習発表会で、隣で妻がハンカチを顔に当てたままずーーっと放さなかったのを見ました。
今、目の前で演技をしている子供たちと大川小学校の子供たちとが重なっているようでした。
こんなこともあっただろうし、これからこんなこともあるはずの子供が・・・・・・・・・・。
無念としか言いようがありません。
2011年
10月
03日
月
鳥海山が白くなりました。
ここ数日の間に気温がめっきり下がってしまい、鳥海山の約半分ほどまで白くなっていました。
平地での朝の気温が6度~9度でしたから3000m級の山は白くなるのも当たり前かなと思いました。
周辺の山はまだ紅葉していませんが、冬も間近といった感じです。
この地域は国内でも有数の豪雪地帯です。雪とうまく付き合っていこう・・・などといわれていますが、やはり、雪との戦い・・・です。
たしか、3月11日もかなり寒く、この辺は吹雪でした。でも、家に入れば暖かいストーブがあって暖をとることができました。被災された方たちはそれすらままならかったんですね。
2011年
9月
30日
金
気まぐれ不定期ブログ
昔の「耐え難い苦しみ」は今でも引き継がれ、これからも永遠に引き継いでいくものなんでしょうね。
日本は世界でも屈指の平和主義国であると思っています。
昔とは違う日本をもっと理解してもらいたい。(特に隣国には)
近くて遠い国はいつまでもつづくのでしょうか。
近くて良きパートナーでありたいものです。
もっとも、ほんの一部の人達の行動ですが・・・・。
震災の時は救援活動もしてくれましたし、多額の義援金も頂きました。
お互い助け合いながら生きようとしている人が大半です。
ただ、日本人にもほんの一部の人・・・・・がいることも事実ですから。
結局、どちらをどう責めようもない、レベルの低さにむなしさを感じます。
被災された人たちはどのように思われているのでしょうか。